デジタルカメラvs生成AI
カメラメーカーが新製品を出しても世間ではほとんど話題にならないのに、Panasonicが新作カメラの製品ページでストックフォトを使っているのがバレたら大きなニュースになるのだから、なんとも皮肉だ。
CMと実際で商品の見た目が違うなんてのはよくある話である。でもソーシャルメディアなどで消費者の声が大きくなった結果、「よくある話」が受け入れられなくなってきている。良いことではある。
だいたい、数百円のハンバーガーの話をしているのではない。件のデジカメは20万円近い製品である。同社のカメラの中ではエントリー寄りだが、それでも高い買物であることには違いない。高級品なんだから宣伝素材くらいちゃんと自前で準備してくれよ、とは言いたくなる。
デジカメが高級品になったのは、言うまでもなく、「安くてそこそこのカメラ」という市場がスマートフォンに駆逐されたからである。だから今、大手メーカーが売り出すようなデジタルカメラは、はっきり言えば一般の消費者にとってオーバースペックなくらいの高性能・高価格商品ばかりだ。
今日のiPhoneでは、ほとんどの状況で十分以上に綺麗な写真が撮れる。だからカメラメーカーがこの先生きのこる方法は、性能と価格を引き上げてスマートフォンによる市場侵食から逃れつつ、価格に見合うだけのブランド力をつけるしかない。
そんな中でPanasonicはカメラやレンズの説明写真に他社のカメラの写真を使ったのだから、ブランドもなにもあったものではない。
前にも書いたが、現代におけるカメラの価値は、素朴なことにあると思っている。画角があって、絞りがあって、シャッタースピードがあって、感度がある。光学、サイエンスによって絵が決まるのである。もちろんデジタルカメラなのだからデジタル処理は行われるわけだが、たとえば満月をズームで撮影したら月のテクスチャが付与されるようなスマートフォンのカメラとは根本的に違うし、そうでなければならない。
もっと言えば、生成AIによって、今後はAIのサポートを得たものと、人間の力だけで作られたもので世の中は二分されていくはずである。「手で握ったおにぎり」とか「油絵」とか「セルアニメ」みたいな感じで、AIの手を借りずに人間の力で作ったものが価値になる世界がやって来る。逆に言えば、それ以外のところではAIの手を借りるのが当たり前になっていくのだろう。
正直、人間の力だけで作ったものが、どれだけプラスアルファの価値として認められるかは分からない。でもそうやって世界が二分されたとき、デジタルカメラは人間の側の存在であって欲しい。というか、それだけがデジタルカメラの生きる道ではないか。だって、カメラがAIの力を少しでも借りるなら、そもそも光学に基いた絵作りをする必要なんてない。F値なんて関係なく、後景をぼかせばいいじゃん。表情なんていい感じにAIに生成してもらえればいいじゃん、スマホに綺麗に撮ってもらえばいいじゃん、と。
だからデジタルカメラは光学に基いたマシンとして、どのような絵が撮影できるのか、どこに限界があるのか、これまで以上にもっと自覚的であるべきである。そう考えると、他社のカメラの写真をサンプルのように使うなんてもっての他なのだ。
というようなことをつらつら書いていたら、最近は若者に古いiPhoneの絵作りが人気という記事を見つけた。いつの時代も若者のほうが自由だね。