"Unpacking"と引っ越しの物語
前に少し書いたが、"Unpacking"というゲームを先日クリアした。これは引っ越し荷解きゲームで、山のような段ボール箱から荷物をすべき取り出し、しかるべきところへ置いたらクリアである。
ゲームとしてはかなり「ゆるい」。トイレットペーパーを食卓には置けないし、ブラジャーを床に置くこともできないが(どうやら主人公は女性である)、一方で多くのものは押し入れに押し込んでおける。荷物の一つ一つを最適な場所に置かねばならない……というようなパズル的要素はあまりない。だいたいのものを、だいたいのところに置けばそれで良い。
もっとも、揃いの食器があれば並べて置きたくなるし、ぬいぐるみの山はまとめて同じ方向を向かせたくなる。そうした自分の中の美意識のおかげで、なんとかゲームとして成り立っている。几帳面な人にはしんどいかもしれないし、雑な人にはただただ面倒くさいかもしれない。
ネタバレではあるが、現実と同じようにゲームでも引っ越しのたびに人生のステージが変わっていく。はじめての自分の部屋、一人暮らし、友達とのルームシェアと経て、彼氏との同棲がはじまる。
笑えるのは、ゲームとしてはこの彼氏との同棲ステージが一番の難関であることだ。先住民の男のものが部屋中に既に置かれていて、自分のものが好きに置ける場所が全然ない。だから彼氏のものを黙って片付けたりする。このゲームは物語の説明がほとんどないかわり、ゲームを通じた物語の描き方がとてもうまい。
そんな男とは当然のように別れ、そのあとまた女性との同棲をはじめる。はいはい、ルームシェアね、と一瞬思ったが、寝室にあるのはダブルベッドである。
なるほど。こういう物語の描き方があるのか、と私はわりとびっくりした。
ゲームにおいてジェンダーマイノリティの存在が取り上げられることはもはや珍しくなくなった。登場人物にLGBTがいます! みたいな。また物語の選択肢の一つとして提示されることも増えた。異性婚だけでなく、同性婚もできます! みたいな。しかし、そのような「配慮」ではなく、このようにただ一つの物語の中心として描かれるのは、今日でもなかなか珍しいのではないか。
”Unpacking”は荷解きというキャッチーなテーマのおかげか、けっこうネットでも話題になったと思うのだが、ざっと調べた限り、その物語については少なくとも日本ではあんまり話題になってないようだ。みんなゲームプレイ動画などを少し見て満足してしまったのかもしれない(関係ないけど、このゲームのRTA動画は面白い)。
例外としてWezzyに「フェミニスト、ゲームやってる」という連載があって、”Unpacking”も取り上げられていたのだが、そのWezzyは残念ながら閉鎖されてしまった(いちおうアーカイブ)。ただ来月、連載が本になるようだ。
余談だが、私はときどき、物語にジェンダーを持ち込まないというショートショートを書いていて、「月食」とか、この前書いた「ジェネレーティブな愛」とかがその例です。