ライフ・アフター・インターネット
あんまり認めたくはないのだが、インターネットを見ていても面白いコンテンツと遭遇する機会が減っている。私の感性が老化したのかもしれないし、面白いものを探す力が落ちているのかもしれない。あるいは単純にインターネットがつまらなくなっているのかもしれない。そういうわけで本やマンガを読んだり、ゲームをしたり、映画を見たりする時間が増えている。
幸い、本やマンガやゲームや映画は溢れるほどあるし、新しいものを手に入れるのにそれほどコストもかからない。そういうわけで生活はむしろ充実しているのだが、一方で寂しさもある。
20年近く前にインターネットと繋がってから、私にとってそれはコンテンツの供給源であり、人との出会いの場であった。Web 2.0とかソーシャルメディアとかが喧伝されるようになると、その両者はさらに一体化して、切り離せなくなった。インターネットにおけるコンテンツとは人のことであり、人とはコンテンツであった。良くも悪くも。そうやって私は多くのコンテンツや、多くの人と出会ってきた。
だがコンテンツとしてのインターネットは、少なくとも私の目には、あまりうまく行っていない。もうみんな大人なので、良いコンテンツを出すからにはそれなりに稼ぐ方法を考えないといけないのだが、ずっとインターネットを支えてきた広告モデルはおかしくなってしまい、直りそうな見込みがない。
かわりに課金モデルでなんか出来ないかと頑張っている人達はいるが、そうすると本やマンガやゲームや映画に課金するのとなにが違うのかという話になる。インターネットが普及してまともなビジネスになった結果、他のメディアと横並びになってしまったとも言える。
余談だが、ついついYouTubeばかり見てしまう言い訳をすると、ここでは広告モデルが今のところ守られており、投げ銭や有料会員といった機能の充実もあって、面白い人が面白いことを無料でする場として成り立っている。いま、ふつうのウェブサイトで同じようなことを持続的にするのは難しい。
しかしYouTubeは、もはやインターネットの動画メディアというよりは、開かれたテレビメディアであって、私がインターネットに求めていたような人との繋がりは感じられない。
そういうわけで、今も面白いコンテンツには事欠かないが、面白い人との出会いはなくなってきている。ここが悩ましい。私はまともな社交性に欠けるが、インターネットのおかげで人との出会いには苦労しなかった。面白いコンテンツを見つけて、面白いですねと声をかければ、だいたい面白い人と仲良くなれたからだ。でもインターネットがこうなってしまったいま、人とどう出会って行けばいいのか分からない。
仕事人間が定年になると、何より人との繋がりが失われるのが難題らしいが、インターネット人間がインターネット以外から出会いを探すというのも、また難題のようである。私の解決案は、前も書いたが、犬を飼うことです。