私の「どこでもドア」
先日ちょっとした用で外出した時、目的地までどれくらい時間かかるかと調べたら、例えば地下鉄を2本乗り継いで27分と出た。それで実際、27分後には目的地にいる。
今更だけど、すごくないですか? 電車はだいたい時間通りに来るし、私はもちろんマシーンのように正確に歩く。だから乗り換えアプリで目的地を調べたとき、すでに目的地に着いている。ほとんど「どこでもドア」だなと思った。移動に多少の時間とお金と体力が必要なだけで。
前々から宇都宮って行ったことがないなと思っていて、年始に初めて行ってみた。乗り換えアプリで調べると、やはりその通りに着く。行こう行こうと長く思っていた一方で、乗り換えアプリを使えば簡単に行けてしまう。海外旅行とかになると話はもう少し複雑かもしれないが、近場の鉄道旅行くらいであれば、乗り換えアプリを起動さえすれば、もはや旅行は出来ている状態である。旅行そのものは乗り換えアプリの起動に伴う付随的なものなのかもしれない。
どこかに行くことや、誰かに会うことは難しくない。では何が難しいかというと、どこかに行こうと思うことや、誰かに会おうという気持ちになることとが難しい。やろうと思えば世界一周だって出来るだろうけど、そういう気持ちがあるかという話である。
最近はランニングをして、犬の散歩をして、Factorioをやったら一日が終わってしまう。欲がないと言えば聞こえはいいが、いいことなのか、悪いことなのか。もう少し「どこでもドア」を使いこなせるといいが。