意欲の探しかた
定職がなくなって自由な時間が増えたので、どういう風に生活が変わっていくか自分でも気になっていたのだが、半年近くたった今、生活はあんまり変わっていない。ランニング、読書、ゲーム、犬の散歩、ごはん作りなど、今までやっていたことにもう少し時間が割けるようになった、という感じである。
友人からは、いい機会なのでなにか新しいことを始めたら、と言われることもあり、それはその通りなので、自分でも色々と考えてはみる。でも、本当にやりたいことがあったら、仕事で忙しかった時期でもやっていただろう。自分で言うのもなんだけど、私は会社員だった頃から時間を見つけてやりたいことをやるのが得意だった。だから反対に時間があったらやりたいことというのは、実はあんまりないものなのかもしれない。時間がないことが言い訳になっているうちはそこまでの意欲がないというか。
もちろん、本当に色々やりたいことがあって、時間が足りない人というのも世の中にはいるだろう。ただ自分はそういうタイプではなかった、という話である。
最近、AIについても似たようなことを考えていて、すばらしいコーディングAIがあって何でも作れます! と言われても、そこまでやりたいことがない。ゲームは作りたいし、AIはたいへん役に立つが、根幹のデザインは自分で考えなかればいけない。小説はいろいろと書きたいが、私が書きたいのであって、AIに任せるのは本末転倒である。
そう考えると、AIに任せたいことというのは、思ったほどない。世の中のいかにもAI製コンテンツの大半がつまらないのも、AIができるからやってみたというものばかりで、その人が本当にやりたかったことに見えないからではないかと思う。まあ、もっと私に仕事があったり、あるいはAIがもっとフィジカルになって部屋の片付けなどをやってくれるようになったら、任せたいこともたくさん出てくるのかもしれない。
なにかやりたい気持ち、意欲、興味関心と言ってもいいのかもしれないけれど、そういう感情がどれだけあるか、そういう感情をどう生んで、育てて、保っていくかというのが、これからどんどん重要になっていくのだろう。
だって、もし自分の子供が、AIがなんだってやってくれるようになるのに、なぜこれだけ色々な教科の勉強をしなければいけないのか、と言ってきたら、まあ何かと反論はできるだろうけど、しっかり納得させるのは難しいのではないか。世の中に興味を持つためだよ、と究極的には私は言うのだろうが、なぜ世の中に興味を持たなければいけないのかと言われると、困ってしまう。だいたい最近は暗いニュースばかりで、世の中に興味を持っても暗い気持ちになるばかりだし。
ところで、定職をなくしてから色々な人と会って話をしたが、同じように定職のない人の生活を聞くと、勉強をしているという話が多くてびっくりした。資格の勉強をしているとか、語学の勉強をしているとか。生活に困っているような人達ではないので、仕事探しに有利とかいう目的ではない。ただ気持ちとして、勉強をしたいということらしい。私は資格勉強がまったくできない人間なので、本当にすごいと思った。
逆に考えると定職というのは良く出来たシステムで、やる気がなくても、まあ職場に行かなきゃいけないとか、会議に出なきゃいけないとか、資料を作ってプレゼンしなきゃいけないとか、そういう義務感で物事が進んでいく。それはそれで生活のリズムの作り方として悪くないのかもしれない。時々、すごいお金持ちなのに普通に会社員をやってるという人と出会うが、そうすることで生活のリズムを作っているのだろうと思う。全然違うかもしれないが。
振り返って私に今どのような意欲があるかというと、痩せたいのだが、これがなかなか難しい。AIも役に立たない。痩せて、夏を乗り越えたら、秋からはなにか新しいことを始めたいですね。

