素朴なシステム
最近なにをしている時が一番楽しいかを考えると、自転車に乗っている時かもしれない。少し前までは自転車に乗るのも、買物の行くとか美術展を見るとか、なにか目的がないと嫌だったのだが、最近は目的なく自転車に乗れるようになった。楽しい。
私は効率性を追い求めすぎるあまり効率が悪くなるという悪癖があって、自転車に乗るのに目的が必要というのも、その延長線上にあったと言える。自転車に乗るからには、なにか目的がないともったいない、というわけ。
そうやって自転車で色々なところに行ってみて、目的地を楽しむよりも自転車に乗っているあいだが楽しかったなと少しづつ学んできた。目的がないまま出かけるのがある意味で効率的なのかもしれないと、ようやく自分を納得させられるようになったのである。
私の自転車は、折り畳み自転車としては高級なBromptonというものである。からぱたさんという方がブログで紹介していて一目で気に入ってしまい、色々あって手に入れた。
ちなみに私のBromptonは今は売ってないクリーム色でめちゃくちゃ格好いい
自転車は未就学児のころから散々乗ってきたし、京都では本当に足がわりであったが、自転車は楽しいなと心から思うようになったのはBromptonを手に入れてからである。
Bromptonは小さい自転車なのでロードバイクのように速くは走れないが、都会をするすると走るにはちょうど良い。当時は20万円未満だったのだが、今はもうすこし高くなっているようだ。私は持ち家もないしマイカーもないし部屋につけるカーテンもないので、Bromptonは所有物の中では数少ない高級品のほうである。といっても自転車の世界では20万円など駆け出しに過ぎないのだろうが。
目的なくぶらぶらしているとは言え、せっかく自転車に乗るのだったら知らないところを走ってみたいとは常に考えている。RPGで新しい街に辿りつくたび端から端まで歩いてすべてのNPCと会話するような人がいるが、それが私である。私が最近のRPGを遊ばなくなったのは、ゲームの街が大きくなりすぎて、隅々のNPCと話をしていたら先に進まないからだと思う。
自転車の楽しさの一つは、仕組みが非常に簡単なことだろう。ペダルを踏むとギアが回り、チェーンが回転してタイヤが前に進む。ギア比もブレーキケーブルも見たまんまである。
たとえばパソコンやスマホは文字通りブラックボックスで、今やバッテリーの交換さえできない。自動車やバイクも昔は分かりやすい機械だったが、どんどんコンピュータ化されて、よく分からない存在になっている。私がインターネットにハマったきっかけも、ワールドワイドウェブがHTMLという素朴な言語で書けたからなのだが、いまではウェブサイト一つ作るのもすっかり複雑化してしまった。
そういうわけで自転車である。ルービックキューブでもいい。圧力鍋でも、チェスでもいいし、ピアノでもいい。カメラはデジタル化されたが、絞り・シャッタースピード・感度という原則は今も素朴な光学に従ったままである。そういう素朴なシステムがわりと好きなのだなと、最近になって感じる。
近頃は東京のあちこちにコーヒースタンドが出来ているので、自転車で立ち寄るのにちょうど良い。私は、生まれて三十年くらい、数えるほどしかコーヒーを飲まなかったし、今でもコーヒーのことはまったく分からないのだが、コーヒースタンドめぐりのためにコーヒーを飲んでいる。注文するのはカフェオレとかカフェラテとか軟弱なものばかりで、両者の違いもあんまり分かっていない。それぞれアメリカンとエスプレッソのミルク版であることは学んだが、今度はアメリカンとエスプレッソの違いが分からない。あのシューってやつがエスプレッソなんだろ、くらいの感じである。それくらいの認識で、東京のコーヒースタンドめぐりをしている。
そうやって目的のない自転車旅にもまた目的を見つけようとするのが、私のような効率人間である。幸い、東京は移り変わりが激しすぎて、新しく出来たと思った店は潰れ、また新しい話題の店が出来る。その様子を自転車で見て回るのが楽しい毎日なのだが、最近は閉まったままの店やら、新築のビルなのにテナント募集中の物件などあって、大丈夫なのかしら。