時代遅れのコスパ
2004年の大ヒットゲーム”Half-Life 2”を5年遅れで遊ぶという、xkcdのマンガがある(上)。5年前のゲームなら最新のゲーム環境を整えなくても遊べるし、たとえば何十年前のレトロゲームをずっと遊ぶのとは異なり、5年前のゲームをずっと追い続けて行けば、ゲームの進化も楽しむことができる……という話。
マンガのオチは2008年末の大ヒットゲーム”Portal”に、2013年になって感化されてめちゃくちゃ周回遅れ……ということなのだけど、私はこの10年前のマンガを読んだとき、これって結構マジでアリなのではないか、と思った。
実際もし”Portal”で遊んだことがないという人は、15年遅れでもやるべきだろうし。
PCゲームは特に不思議な世界で、高価な新作はバグだらけなことが多く、発売から時間をかけてバグが修正されたころには半額以下の値段で投げ売りされていたりする。5年遅れは極端でも、少し古い作品をセールで買い漁るというのは、現実的で賢明な戦略と言える。
ゲームに限らない。本は文庫になるし、映画はパッケージや配信になる。高級パン屋の行列は消えていつでも買えるようになるし、ネットの炎上話も来週には誰も覚えていない。インターネットではアーリーアダプターという名前の人柱がやけにもてはやされるけど、現実にトレンドの最先端を追いかける必要がどれだけあるのだろうか。レイトマジョリティとして、世の中を少し後ろから追いかけたほうが、嫌いな言葉なので使いたくないけど、コスパが良いのでは?
もちろん、迷っているうちに絶版になってしまう本などもあるだろう。気になっていたミュージシャンが、うかうかしているうちにどんどん人気になってチケットが取れなくなってしまうことだってあるだろう。問題は、それがどれくらいの割合なのかということである。
私はもういい年なので、最新のトレンドを追いかけたいという気持ちはあまりないし、反対に多少の節約のために新しいことを諦めたいという気持ちもない。だから、ここで時代遅れに生きることを推奨しているわけではない。でも、トレンドを追うことにコストがかかって、人類がコスパとかタイパ(未だにコスパと何が違うのか、意味の分からん言葉だけど)とか言い続けるのなら、5年遅れ、10年遅れの生活でいいやという人達が増えていってもおかしくない。そういう人達が増えていったとき、最新の情報も見ておけよと説得できる材料って、なにかあるんだろうか。
いっそ5年遅れ縛りとかで生活してみるのも面白いかもしれない。5年遅れで生活する人達が集まる地区の話とか、ショートショートにはなりそうな気がする。ちなみに2018年は「カメラを止めるな」とか「U.S.A.」とか「そだねー」とかが流行った年らしいです。もう5年前か……。