炎上って言うのをやめないかい
「(ネット)炎上」という言葉を使うのはやめたほうがいい、と常々思っている。
いや、私は寛容な人間なので、個人が炎上という言葉を使うのは好きにすれば良いと思う。私自身も使っています。私が問題視しているのは、新聞やテレビといったメディアが、ネットでの騒ぎをなんでもかんでも炎上と表して、それで何か言ったつもりになってることである。
最近はしょうもないことがネットで話題になり、批判が集まり、炎上して、それをテレビや新聞が後から追いかける例が多い。ネットのせいで炎上したものはたくさんあって、それらの多くは、ネットがなければ炎上するほどの騒動にはならなかっただろう。今日、ネットがなかった世界を考える意味がどれほどあるのかはさておき。
ネットのせいで色々な騒ぎが起きている。しかし、騒ぎの責任はネットにあるのだろうか?
先日、日経が『DAZNとANAのネット炎上から考える「怒りのコスト」の重み』という記事を出していたが、これなんか炎上の責任とネットの責任を取り違えた典型的な例だろう。ANAは新システム導入によってサービスが劣化し、DAZNはサブスク契約時に、違法のおそれもあるようなまぎらわしい表記を行った。私に言わせれば、ネットで広がった炎上は、消費者からのごくまともな反発である。ANAやDAZNはネットのせいで炎上したのではない。欠陥建築を建てて、人が集まったら崩れたのだ。
しかし、こうした事例を炎上と呼ぶことで、まるで騒ぎの責任はネットにあるかのように転嫁させることができる。これは遠回しな、消費者運動の軽視である。
先の日経の記事は本当に変な内容で、
ダゾーンとANAの例から学びとれるのは「顧客を怒らせてはいけない」という単純な教訓ではない。問われるのは、怒りの種類や大きさを見極め、一部の顧客離れなどのコストをどこまで許容するのかを判断する力だ。
顧客の怒りはもはや「必ず排除すべきリスク」とはいえない。設備投資や人件費、原材料費などと並ぶコストとして、経営上の「変数」の一つになったといえる。
と書く。DAZNのやったことを理解した上で、それを経営上の変数の一つと呼ぶセンスに驚くが、いずれにせよ著者の言う通り、批判を恐れずに経営リスクをとった結果なのだとしたら、消費者から想定以上の批判を集めたのだから、それは経営のミスであって、批判の矛先はネットではなく経営に向けるべきだろう。
最近は企業と消費者がトラブルになっても、サポート窓口などの正規のルートが機能せず、ネットで炎上させたほうが注目が集まって、結果的に企業もトラブルの原因を認める、というような例が頻発している。つまり、炎上が消費者の武器化している。
経営者や、経営者を代弁する日経にとっては、武器化された炎上は脅威かもしれない。実際、そうしたクレーマー的な、企業にとって理不尽で不運な炎上も多々あるのは分かる。
しかし、少なくともDAZNやANAは批判に足る問題を犯して、当然の批判を集めた。私は経営者よりも消費者の味方なので、炎上という武器を消費者が得たことは、良いことだと思っている。どんどん役立たずになっているXの、今や数少ない有益な用途と言ってもいい。
だから、まともな反発が生んだ炎上もあれば、理不尽な炎上もあるのだから、メディアに求められるのは、ネットの騒ぎをただ炎上と言って済ませるのではなく、その騒ぎにどれだけ正当性があるのかを考えて伝えることではないのだろうか。なんだかこの結論を書くまでにずいぶん長くなってしまった。
実際の街で火事が起きたと考えてみる。どこかのマンションが炎上している、火事だ。第一報はそれで良い。しかし続報では、その責任がどこにあったのかを伝えることが期待されるだろう。住民の煙草の不始末だったのか、モバイルバッテリーが燃えたのか、外でやっていた焚き火が広がったのか、放火犯がいたのか。そういう話を読みたいわけである。
そんなアナロジーを考えていて気付いたけど、実際の火事の場合はそうした分析は警察がやって、メディアは警察発表を右から左へ報じているのだった。だから、ネット炎上においても、メディアがちゃんと分析できないのは仕方ないのかもしれない……。

