ラン、なぜか、ラン
コロナ禍での運動不足を解消するため、ランニングを始める人が多いと聞く。かくいう私も走っている。以前からジムでNetflixを見ながら走っていたのだが、最初の緊急事態宣言でジムが閉鎖されたので、外を走るようになった。
ランニングを趣味にする人はまわりにも沢山いたのだが、私自身はなんとなく拒否感があった。効率厨の私には、家の近所をただ走るという無意味さがなんとなく許しがたかったのである。
もちろん、汗だくの見苦しい顔でバタバタと走っている様子をまわりに見られたくない気持ちもある。ただでさえ子供がいるせいで、近所をぶらぶらしていると「○○ちゃんのお父さん」と指差されるのに。
とはいえ運動不足を解消するため、仕方なく汗だくの見苦しい顔でバタバタと家の近所を無意味に走っている。昔がどうだったのかは知らないが、今はたくさんの人が走っている。マジで速い人、洒落た格好のわりにはダラダラと走っている人もいれば、どう考えても無理なペースであえぎながら走っている人もいる。
しかしそれ以上に気になるのは、たぶん走るつもりがなかったのに、なぜか走っている人達である。スーツ姿のサラリーマンはちょくちょく走っている。ヒールを履いた女性もときどき見事に走っている(見ていて不安になる)。何があったのか。呼び止めて話を聞いてみたいくらいである。
関係ないが、私はヒールを履いた女性に対して一家言あって、それはヒールのせいで歩き方がむちゃくちゃな女性が世の中には多すぎるということである。ヒールが体をうまく支えられず、後ろから見ると足首がヒールごと内側に折れ曲がって、そのうち足を折るのではないかと不安になる。体にあった靴を履いてくれ、と心から思う。
それはさておき、走っている私を見て、ときどき幼児が追いかけてくることがある。幼児はなんでも追いかけがちである。幼児が走るとお母さんも走る。待ってーとお母さんは言うが幼児は止まらない。私が止まったほうがいいのだろうか? 申し訳ない気持ちを抱きながら、なるべく幼児を引き離すべく頑張って走る。そういう幼児に限って、けっこう早かったりする。
ランナーなのかランナーでないか、その境界線上を走る人達もたまに見かける。本気のランナーにしては一般的すぎる服装のような、あるいは荷物が多すぎるような、休みすぎのような。普段からちょっと駆け足の人なのか、あるいは一瞬でも走った人は、みなランナーとすべきなのか。
都会で自転車を走らせていると、まわりの自転車乗りはみんな巨大なバックを抱えていて、フードをデリバリーしていないのは自分だけではないかと思うことがある。
それに比べると、ランニングはまだまだ平和というか、ほとんどの人が自分だけのために走っていて、無意味である。私はだんだんその無意味さが愛おしくなってきて、今日も走るのだが、平和はいつか終わるものなので、そのうちランニングデリバリーサービスが始まっても私は驚かない。