久米宏の時代
久米宏が亡くなった。81歳。1985年から2004年まで、ニュースステーションという夜のニュース番組でキャスターを務めた。つまり、私の物心がついたときから、大学に入ってテレビをほぼ観なくなるまで、ずっとニュース番組の顔であった。
もちろん久米宏にはそれ以前(ザ・ベストテンとか)も、それ以降(ラジオとか)もキャリアがあって、特に以前のことは2017年の自叙伝「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」に詳しい。それでも私にとっては、そして恐らく多くの人にとっても、久米宏はニュースステーションの人であった。
考えれば久米宏がニュースステーションを去って20年以上が経っているわけで、少なくとも30歳前後くらいの人までは、久米宏の影響力と言われてもピンと来ないのかもしれない。眼鏡を変えたとか、髭を生やしたとか、一つ一つが話題になっていた頃を思えば、なんとも不思議な感じである。いつの間にか私も年をとって、歴史を語る側になってしまった……。
私自身への影響力で言えば、90年代の後半にインターネットにハマるまではテレビっ子だったし、昔からニュースオタクだったから、当時は親の顔の次くらいに毎晩、久米宏を見て、その話を聞いていた。だから今思えば、若く多感な時期の私の政治的指向性に久米宏が多大な影響を与えたのも、ある意味で当然であった。
久米宏の政治的指向性がなにかと言えば、それは反権力だろう。権力は常に監視されなければならないというマスメディアの役割を踏まえたものだが、それと共に、権力は茶化しても良いというエンターテイメント精神も備えていた。時にそれは批判のための批判と言われたが、しかしそれがマスメディアの役割なのだから、批判のための批判で何が悪い、と久米宏なら答えたかもしれない。
今日的な発想では、なんらかの目的が最初にあって、それに合うものはなんでも飲み込むし、そうでないものは徹底的に排除するのが「自然」だし、なにより権力者は権力を持っているのだから、それに従うほうがリターンが大きく「合理的」なのだろうが、久米宏はそうではなく、常に批判する側に立ち、それはつまり、概ね常に弱い側に立った。どちらの筋が通っていると考えるかは、今では人次第なのだろうが。
いろいろなリサーチを見ても、日本では明らかに年配ほど反権力的指向である一方で、若者はそうでもない。反権力的な世相が当時あったから久米宏が輝いたのか、久米宏がそうした世相を拡大させていったのか、歴史にはA/Bテストがないので分からないけれど、ともあれ一部の日本人の政治観に久米宏が与えた影響はものすごく大きいと私は思う。はっきり言えば、私のような反権力的な人間をたくさん生み出したのだろうから。
ただ当時と今を比較すると、明らかに反権力というテーマは時代遅れになりつつある。今日あちこちで見られる権力の暴走との因果関係を考えてしまうが、そもそも権力の暴走が起きているという視点自体が私のような反権力の見方であって、そうでない人にはそうではないのかもしれない。政治家がやりたいようにやって、メディアがそれに迎合して、支持者と美味しいところを分けあって、反対派には餌を残さず、それで何が悪い、というように。
だから今、久米宏のような能力のある人が現れて、久米宏のようなウィットに富んだことをやっても、久米宏のように評価はされないだろう。生意気で、敬うことを知らず、騒ぐために騒ぎ、批判のための批判をしているという(当時から言われていた)久米宏評は、今だともっとそれらしく聞こえるに違いない。
あるいは、久米宏の言動は時に過激だと言われたが、陰謀論もオルタナティブ・ファクトも蔓延する今の基準で考えれば、あまりに普通で、ともすればエリート的とさえ言えるかもしれない。
考えてみれば久米宏自身、TBSのアナウンサーからフリーになった「タレント」で、たとえば筑紫哲也のような新聞記者、週刊誌編集者あがりの「ジャーナリスト」のキャリアではない。今ではタレントがニュース番組の顔になるのも、タレント中心のワイドショーで少しだけニュースに触れるようなことも普通になったが、なぜ久米宏ができたことがいま出来ないのかというと、今日のマスメディアが権力指向だとか反権力だとかいう以前に、そもそもメッセージを世間に強く伝える力がもう残っていないということなのだろう。
そう考えると、久米宏がニュースステーション以降ラジオで長くキャリアを続けながらも、世間に対する影響力を失っていったことにも符合する。
それでもというか、だからこそというか、私は久米宏の時代にニュースを観ることができて幸せだったと思う。そしてこれを言うといかにも老害っぽくなってしまうが、一部の週刊誌くらいしかまともに権力の監視ができていない今日を思うと、たいへん暗い気持ちになる。
もしかしたら久米宏は、マスメディアにまともに反権力が存在したころのスターとして歴史に名を残すことになるのかもしれない。かつてはテレビにもニュースメディアがあって、社会の問題も政治の問題も遠慮なく取り上げるキャスターがいた、と。
テレビに力があった時代のことを懐しむとは、インターネット民としては皮肉なことではあるけれど。

