たよりない記憶
村上春樹が6年ぶりに新作長編を出すという。前作はなんだっけと考えたが、「騎士団長殺し」か。けっきょく読んだっけなと思って日記を調べたら、読んでないけどレビューは書いてた。6年前の私はどうかしてるよ。
昔の自分がクレイジーだと、逆説的に人間としての成熟を感じる。みなさんも将来、確実に成長したいなら、いまのうちにしょうもないことを存分やっておきましょう。
ところで、面白い本や映画やゲームなどを推薦するときに「記憶を消してもう一度楽しみたい」みたいなことを言う人がいるけど、この言い方がインターネットの大袈裟な表現の中でも特に気になる。
第一に、記憶を消したらもう一度その作品と出会える気がしない。いまだって読みたい本や見たい映画がたくさんあるのに、記憶を消してもう一度その作品を手に取る機会があるだろうか。積んで終わりが精々では。
第二に、仮にその作品と出会った瞬間に戻って、作品を味わいはじめるところからやり直せたとして、最後まで付き合えるかどうか自信がない。
たとえば"Dead Space"というグロいSFゲームがあって、私がふだん遊ばないジャンルなのだけど、当時はとても楽しかった(続編もクリアしたが、3は評判が悪くやってない)。最近リメイクが発売になったが、いま記憶をなくして始めたとして、クリアまで辿りつけるとは思わない。時間もないし根気もない。作品との出会いには、適切な時期というのがある。
第三に、仮にその作品と出会った瞬間に戻って、あらためてその作品を楽しむ時間も根気もあるとして、記憶を消して楽しめたとしても、それはプラスマイナスゼロではないのでは、と思う。
「記憶を消してもう一度楽しみたい」と言ってる人が記憶を消して同じ作品を見る毎日を繰り返す物語。
そういうわけで、仮にこの表現に妥当性があるとしたら「たいへん好きな作品があるのだが、今思えば出会ったのが早すぎたように思い、当時よりも年を取った今になって初めて出会えていたなら、さらに好きになれたかもしれない」という時くらいではないか。そういう意味なら、私も納得するけど、さて、具体的にそういう作品ってなにかあったかな。
その上で第四に、私は読んだ作品からどんどん忘れていくので、わざわざ明示的に記憶を消さなくても、作品をもう一度楽しむことが日常的に可能です。「騎士団長殺し」、読んでみよっと。