大きな洗濯機としての家
ときどき人生において正しい選択をすることがあって、最近だと食洗機を買ったのがその一つである。
洗い物はもちろん面倒なので、機械で自動化できればどれだけ楽だろうかとずっと思っていた。しかし我が家のシンクにはちょうど良い場所がなかったのである。結局、サンコーの比較的小さな食洗機を買って、無理矢理シンクに置いたのだが、無理矢理にでも置いた甲斐は十分にあった。
ふつうのキッチンにこんなゆったりしたスペースはない
食洗機というと、工事をして蛇口を分岐しなければいけないのが一般的で、最近は水を汲んで毎回タンクに注水するタイプもあるが、我が家では蛇口にアタッチメントをつけて蛇口の先から分岐させている。工事もいらないし、手間もかからない。ネットを調べても、あまり例を見ないのが不思議である。
ためになる話を書いてしまった。
在宅勤務が続き、毎日同じような生活を送っていると、いかに生活の手間を自動化により効率的に済ませていくのが肝心だと思う。
たとえば、私はこのごろだいぶ早寝早起きになったけれど、これは夜12時になると暖房が消える設定にしているからである。朝は電気が自動で点くし、スマートスピーカーからは天気予報のあとに音楽が流れる。不思議なことに生活が自動化されていくと、自分の生活もルーティン化していく。たとえば朝ごはんのあとは散歩をして、チェスの問題を解き、ストレッチと筋トレをしている。
なんだか年寄りみたいである。
あとは仕事と、ごはんの準備と、子供の宿題を見るのも誰かが自動でやってくれるといいのだが。
前にも書いたが、去年はスマホも買い替えて、防水になった。風呂に持って行けるのがいい。
なぜタブレットやパソコンも防水が流行らないのか謎である。iPhoneみたいに防水で無接点充電のできるiPadが出たらめちゃくちゃ売れると思う。iPadみたいにUSB-CでTouch ID付きのiPhoneのほうがもっと売れるかもしれないが。
いっそすべてが防水だったらと思う。家が巨大な洗濯機になるのである。家を出た時にザーっと全部洗い流してくれたらいい。食洗機も掃除機もいらない。植物に水をやる必要もない。家にいる時に動かせば、風呂もいらない。ニューノーマルの時代、それくらい抜本的に新しい家作りを考えるべきではないだろうか。
最近あまりいいことが起きないので、そんなことばかり考えています。