良いか、悪いか、それ以外か
例えばの話だが、ある店の人間が気に食わないからと、Googleマップに星一つのレビューを送る人達がいる。店の商品が良くないとか、接客が悪いとかではなく、店の人がテレビでなにか言ったのが気に食わないという理由でそういうことをするのである。非建設的で愚かなことだと私は思うが、人間は非建設的で愚かなので、そのことに私は驚かない。
私が驚くのは、そういう突発的な批判レビューをそのまま受け入れ、粛々と平均スコアに加味していくGoogleマップのシステムである。もうちょっと考えろよ、と。自慢のAIがあれば、急に増えたレビューの検知くらい出来るでしょうが。おかしなコメントは一時的に非公開にして、中身に意味があるかどうか精査するくらいできないものか。いや、そんな手間がかかるようなことをプラットフォームは何よりも嫌うと、私は嫌というほど知ってるけれど。
レビューのレビューが難しいというなら、別の道もある。というか、他ならぬGoogle自身がもっと良いレビューの仕組みを知っている。それはYouTubeである。昔のYouTubeは、今のGoogleマップのように五段階評価だった。しかし、ある時に高評価と低評価だけになった。その後は高評価と低評価の数が表示されていたが、2021年からは低評価の数も非表示になった。
余談だが、YouTube自身による年末の「まとめ動画」がYouTube史上いちばん低評価された動画として歴史に名を残したのは、2018年末のことであった。
つまりGoogle/YouTubeは五段階評価システムに問題があることを知っている。良いと悪いだけあれば十分で、さらに悪いスコアが可視化されれば、それが攻撃性を持つことも知っているのである。
ではなぜその知見をGoogleマップに生かさないのか。他にも、たとえばPlayストアのアプリのレビューに生かさないのはなぜか。はっきり言えば、YouTubeのクリエイターには配慮が必要だが、マップ上の店舗やストア上のアプリ開発者には配慮が不要ということではないか。
似たような話で、メルカリは2020年に取引の評価を「良い」「普通」「悪い」の三段階から「良かった」「残念だった」の二段階に変更した。「普通」を入れると普通の基準が人によって異なってくる。人類に三段階評価は早すぎた。いわんや五段階など。
その上で、あらためて各種プラットフォームの評価システムを見ると興味深い。たとえばSteamは「おすすめ」と「おすすめしません」の二段階しかない。それでも突発的なレビュー爆撃に悩まされ、言語別のフィルターや時系列での推移などで評価を多面的に表そうとしている。
Spotifyはお気に入りもブロックもあるが、評価システムはない。Beatlesが何点で、Kendrick Lamarが何点か……などと表示されていたら大変なことになったと思う。
また、Facebook、Instgram、Xなどでは何度も「よくないね」ボタンの導入が議論になるが、実現していない。低評価を明らかにするのは、それだけ重い意味がある。
対照的に、Amazonは徹底的に五段階評価である。修羅の道である。正しいとは思わないが、自社製品や、自社制作の映画などもぜんぶ五段階評価で明らかになるのだから、ある意味では潔い。そういう哲学なのだろう。Amazonの下では全てが評価される側なのだ。
話を戻すと、Googleマップのレビューでさえ攻撃性を持つということは、結局なにかを評価するのは、それだけの重みがあるということに他ならない。私達はふだん、あの店は何点、この本は何点などと(心の中で思っても)公言したりはしない。プラットフォーム経由では長くそれが許されてきたが、もはや時代にそぐわなくなっているように感じる。
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