私達がメディアだったころ
最近のジャニーズの騒動などが分かりやすい例だが、何かあるとすぐ、なぜマスコミはこれを報じないのか~みたいなことを言う人がいる。そういう人に限って、マスコミが実際には報じていることに気付くと、なぜもっと強く報じないのか~みたいなことを言う。
そういうマスコミ批判も個人の自由なので、別に悪いことではないのだが、一方で今やインターネットの時代なんだから、マスコミに見過されている出来事があったら、それは自分で報じたら良いんじゃないかとも思う。
対マスコミに限らず、誰かの情報発信に不満があるなら、自分で情報発信をすればいいじゃん、というのがWeb 2.0などさかんに騒がれていた時にはふつうの考え方だったと思う。でもあれから時間が経って、Web 2.0の夢は萎み、けっきょくマスコミはマスコミで権威的なまま、個人は個人で文句をTwitterで呟くくらいに落ち着いてしまった。インフルエンサーとかYouTuberとか、マスコミでもただの素人でもない中間層は膨らんだけど、なんでもない個人の力は変わらなかった、という感じ。
そもそもWeb 2.0という考え方自体、個人に対するエンパワーメントという意味合いだったはずが、いつのまにか中央集権的なプラットフォームの支配が批判されるようになってしまった。まあそれはさておき。
マスコミはなぜ~を報じないのか的な意見というのは、裏を返せば、マスコミは~を報じてくれ、ということである。マスコミが報じないなら自分が報じればいいじゃんというのは極端な意見かもしれないけど、たとえばジャニーズの問題なら、それを報じているメディアや個人はいるわけで、そういうところを応援するという手はある。問題を報じないメディアに見切りをつけるという手もある。
でもなんだか最近のマスコミ批判を見ていると、マスコミに不満はあるけれど、マスコミ依存は変えられない、だからマスコミ自体に変わってほしい、みたいな不思議な関係性があるように思う。インターネット時代を通じて、マスコミの力は確実に落ちてきているのだろうけど、いつまでもこうして批判されるという意味では、存在感はむしろ増しているのかもしれない。