流行なんにもわからない
私が信頼するガジェット系YouTuber、DC Rainmakerの動画を見ていたら、いつもなら途中「高評価、チャンネル登録を」というところで、かわりに「動画を最後まで見てくれ。正直いまYouTubeが気にしてるのはそれだけだから」と言っていたので驚いた(2:35あたり)。「高評価=いいね」は、もうYouTubeのアルゴリズムに影響を与えないということらしい。
「いいね」がなぜ存在したかというと、もちろん相手に気持ちを伝えるためであり、その数自体がアピールの指標になるからだが、一方でアルゴリズムに影響を与えるシグナルとして有用という、プラットフォーム側の理屈もあった。ユーザ側から見れば、「いいね」したコンテンツ・クリエイターや、類似のコンテンツをリコメンドさせるよう、アルゴリズムを教育するわけである。我々はそのことを知っているから「もっとこういうコンテンツを見せてよ」という気持ちで「いいね」する。
つまり「いいね」には数字としての外的価値と、シグナルとしての内的価値がある。
もっとも、どのプラットフォームもアルゴリズムはブラックボックスなので、「いいね」にどれだけの内的価値があったのかは分からない。そして、その価値がどんどん小さくなっているとすると、冒頭で驚いたとは書いたが、予想できた展開でもある。
なぜなら、いいねは手当たり次第にする人もいるし、まったくしない人もいる。コンテンツによってはファンが大挙していいねするし、コンテンツによってはみんな見ていてもいいねしようとしない。そのような不安定な指標をリコメンドに使うのは危うい。YouTubeが公言したわけではないと思うが、DC Rainmakerが想像するように、いいねより再生時間・再生行動のほうがずっとノイズの少ないシグナルになるだろう。
実際、去年のいつごろからか、YouTubeのリコメンドはだいぶ変わった気がする。みなさんのホームページがどうなっているか分からないが、私の場合だと、再生回数の少ない、知らないチャンネルからの動画がやけに増えた。TikTok的に、マイナーなクリエイターを支援したいということなのかもしれない。その反面、毎回欠かさず見ているはずのYouTubeチャンネルが更新されても、ホームページに表示されず、新しい動画に気付かないということが起きるようになった。
「いいね」の内的価値はどうやら下がっている。面白いのは、外的価値はむしろ上がっているように思えることだ。なぜなら、それ以外の指標がないから。いわゆる「バズ」の大小を測るには「いいね」や「シェア」を見るしかないし、政治的・社会的議論でさえ「いいね」が多いほうが正しいと見られがちなのが昨今である。ネットで話題! とアピールするためには、そうした指標を使うしかない。
「いいね」と「シェア」を並行して書いたけれど、実際この両者に違いは最早ない。アルゴリズムの支配するフィードでは、「シェア」しても他者に届くとは限らないし、「いいね」によって他者に届くこともある。「視聴回数」さえ同じかもしれない。多く視聴されたものが、アルゴリズムによって他者のフィードに届くのだから。明示的に「いいね」するか、暗黙的に動画を見て、再生回数に貢献するかの違いである。
いいねの内的価値が下がり、外的価値が上がるということは、なにが人気のコンテンツなのか、人間とアルゴリズムの考えが乖離していくということである。たくさん「いいね」されているので、私達が世の中で話題で人気のコンテンツと思っているものが、アルゴリズムにはまったく評価されていない可能性がある。
これはちょっと面白いし、ちょっと怖い話だ。私達はかつてなくアルゴリズムに依存していて、その意思を推し量るには「いいね」くらいしか残されていないのに、当のアルゴリズムは「いいね」のことなんて気にしなくなっている。それなのに私達は見かけの「いいね」の数に騙されて、トレンドについて分かったつもりになり、見当違いの解釈をする。年末には、今年のヒット曲とか流行語とか、いろいろと話題になったけれど、アルゴリズムのほうは「全然違うのになー、『いいね』のことしか分からない人間は愚かだなー」と思っているかもしれない。
もちろん、プラットフォームはそんなアルゴリズムを左右できる。Xはアルゴリズムの偏向した意思を隠さないし、Metaはコンテンツのモデレーション方針を大きく変えたばかり。ラッパーのDrakeが、昨年Kendrick Lamarと派手にビーフをやったあと、Spotifyのアルゴリズムを訴えるとかいう話もあった。流行はアルゴリムによって作られ、それはプラットフォームの意思によって決まる。だとすれば、私が最近の流行にぜんぜん疎いのも当然かもしれない。