2018年の5月にこういうツイートをした。
街から本屋がなくなるのが先か、取次が潰れて配本が成り立たなくなるのが先か、出版社の経営が破綻するのが先か、著者が出版社を使わなくなるのが先か、読者が本を買わなくなるのが先か、問題が多すぎて出版業界全体でチキンレース感がある。
6年経って考えると、本屋は潰れてる。
私は東京でも一部しか分からないけれど、渋谷のジュンク堂や八重洲ブックセンターなどの大型書店はもちろん、浜松町の談/文教堂(2020年7月)、六本木のあおい書店/ブックファースト(2021年4月)、赤坂の文教堂(2022年6月)、田町のあゆみBooks(2020年7月)と虎ノ門書房(2024年1月)など「駅近くに当然のようにある本屋」がなくなった。
六本木の青山ブックセンターは文喫になったがもはや書店とは言い難く、麻布十番の崇文堂はリニューアルで小さくなった。
もちろん、新型コロナの影響は大きい。具体名は出さないけれど「小さいけれど独自の選書の本屋」みたいなのも、このタイミングでだいぶ閉店してしまった。
出版業界全体で言えば、私は詳しくないけれど、出版社はIP・メディア展開の強い超大手とそれ以外の二極化が進んでいて、売れる本はまだ売れるが、売れない本はまったく売れない様子である。
そもそも一部のヒット作を除くと、本自体がだんだんファンアイテム化しており、各界のインフルエンサーが本を出して、インフルエンサーが自分で宣伝するというのが一般化している。出版社の多くが宣伝力に欠けるので、インフルエンサーが自分でやったほうが早いのは確かである。しかしそうすると、本の企画というのはすでに有名なインフルエンサーを引っぱってくることに他ならず、インフルエンサー側からすると、印税は1割未満なのに出版社はなにをやってくれるねん、という話になる。最近本を出した人から、そんな不満をよく聞く。
そういうわけでコミケでもコミティアでも文学フリマでもBoothでも、著者が自分で売ったほうがてっとり早い、儲かる、という話がどんどん拡大している。このごろ話題のシェア型書店は、従来型書店と独自流通の中間なのだろう。そういえば先日、シェア型書店を正面からディスってる人がいて良かった。
取次は大阪屋栗田が楽天の子会社になってから大きな再編はないが、日販がコンビニへの配本をやめることが話題になったり、なかなか厳しそうである。
電子書籍はマンガが一大市場になった一方で、それ以外はかわり映えしない。Kindle端末はぜんぜん進化しないし、アプリの使い勝手も良くならない。そもそも「電子書籍ならでは」の何かがほとんど存在せずのはガッカリで、かわりにあるのは「この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています」である。
90年代のような、マルチメディアの未来を夢見ていたころのほうが、今思えばマルチメディアだったというのは、なんだか皮肉である。
こうして書いていくと、なんだか暗い話ばかりなのだが、反対に考えてみると、本の未来というのは、みんな好き勝手に作って、好きなところで売っていく形になっていくわけで、それはそれで昔のインターネットというか、江戸時代の出版みたいで面白いのかもしれない。進化なのか退化なのか分からないが。
マイクロ書店はなかなか難しいけれども、面白い本を出す人達はいるのだろうから、それらを束ねるマイクロ出版レーベルみたいなのが出てきても良いような気がするし、そういうのをウォッチするメディアがあっても良さそうだ。実際にあるのかもしれないが、それを見つける感度が自分にはない。