街を捨てる
ソーシャルメディアを見る時間がどんどん減っている。禁欲的なネット生活を送っているからではなく、ただソーシャルメディアの流れが遅くなって、見るものが減っているのである。
一番わかりやすいのがFacebookで、私はそれなりにフレンドがいるはずなのだけど、ほとんど投稿がない。過疎地である。Facebookは必死になって、フォローしていない人気のページとか所属していないコミュニティの投稿を届けてくれるが、その中身は笑える動画とか美女の写真とかで、チョイス自体が古臭い。
これは四十代・男性という私に最適化されているからだろうか(他の世代の人達はもっと洗練されたコンテンツが流れてくるのだろうか)。それともFacebook全体が古臭いコンテンツに最適化されているのだろうか(他のコンテンツもあるが、笑える動画や美女が一番ウケると判断したのだろうか)。それともFacebookのアルゴリズム自体が古臭くなっているのだろうか(良質なコンテンツを発掘して発信する仕組みがないのだろうか)。それともFacebookの最高級のアルゴリズムをもってしても、これが見つけられる最高のコンテンツなのだろうか。
Xは今も自分で作ったリストを中心に見ているが、オーナー自身が積極的にサービス価値を毀損させているせいか、流れてくる投稿は本当に減った。朝起きたときとか、一日旅行をしたあととか、何時間分も遡って読み返すのは以前は大変だったのに、今はあっという間に見終わってしまう。
かといって、時々うっかり「おすすめ」のフィードを見ると、うずまくネガティブなエネルギーにおののく。私はインターネットのネガティブなエネルギーを30年近く見続けてきて、それなりに耐性を得てしまったが、それでもおののくくらいである。
それらに比べるとInstagramは平和そのもので、犬と猫が無限に流れてくるだけである。なにも生産的ではないが、生産性など望むのは高望みだろう。
Threadsは発言小町2と言われるようなチマチマした愚痴ばかりなので、なにか書きたくなった時はBlueskyを使っているが、全然フォローしていないので全然流れていかない。他のソーシャルディアも長いあいだ、積極的にフォローを増やしたりしていないから、フィードが停滞していくのは自然なことなのだろう。利用者にメンテナンスコストを強いる「フォロー/フォロワー」モデルがすでに時代遅れなのだという話は以前に書いた。
もちろん、ソーシャルメディアを通じて見る光景は人それぞれなので、今も変わらずたくさん良質なコンテンツが流れていて、昔と変わらず、あるいは昔以上に楽しんでいるという人もいるだろう。ただ控え目に言っても、ソーシャルメディアの拡大期というのは終わったように思う。ソーシャルメディアも老いと向き合う時期になったのである。
まあ読書とかゲームとか映画とか外出とか、時間の使い道はいくらでもあるので、いつまでもソーシャルメディアにこだわる必要はない。でも、これまでソーシャルメディアでめちゃくちゃ多くの時間を過ごしてきたので、いざ寂れていくことに困惑もある。なんだか地元が徐々に廃れていくような感じ。人気だった店が閉店して、チェーン店ばかりになって、それも撤退していくような感じである。
日本のリアルな過疎化の話になると、そんな地方で行政サービスを維持するのは無駄だ、みんな都会に出てきて人口を集約させるべきだ……というようなコスパ論者が毎度出てくる。でもそういうネット論者自体がソーシャルメディアの過疎化にどう向き合うのかというのは、けっこう興味深い問いではないか。
ソーシャルメディアで声の大きい人も、みんな私みたいに中年にさしかかってきて、さて今更のように新しい街で暮らすことができるのか、それとも寂れゆく古い街に残り続けるのか……という。
それで、私はソーシャルメディアを見る時間が減ってなにをしているかというと、最近すごくRedditを見ています(オチ)。