小食時代
昔はテレビで出演者がよく煙草を吸っていたし、電車、タクシー、レストランなどでもふつうに喫煙できた。私がF1を見始めたころは、レーシングカーにマルボロやラッキーストライクのロゴが目立ったものである。
東京都で飲食店が原則禁煙になったのは2020年から。私は煙草を吸わないのでありがたいが、こうして一つの嗜好品が世間から追いやられていくのを見るのはなかなか感慨深い。
煙草の次はなんだろうと考えると、まず思い浮かぶのはアルコールで、以前に「飲ま飲まない」というショートショートを書いた。
「飛行機に乗るとまずアルコールが提供されていた」「新幹線の中では出張中のサラリーマンがみんな缶ビールを飲んでいた」「宴会ではとりあえず全員ビールを飲むことが一般的だった」などは、たぶん二十年後くらいにはびっくりするような昔話として聞かれるのだと思う。私はお酒を飲むし、効用もあるとは思うのだが、一方で禁酒時代はもう避けられない未来だと感じる。
それで、さらにその次はなんだろうと考えていたのだが、最近になって大食ではないかと気付いた。
というのも私が、最近インターネットで人がたくさんごはんを食べている記事を見ると、なんとなく嫌な気分になるようになってしまったのである。私のようにたいへん寛容で温和で公正で平和な人間がそう思うのだから、大食に対する潜在的な忌避感はかなりあって、どこかで沸点を超えると、一気に批判が広がっていくのではないか。
テレビでは昔から大食いをネタにした番組があって、批判もあるが、続いているのはそれだけ人気があるということなのだろう。大食いへの批判は、だいたい勿体ないとか、汚いとか、そういう話で、今後もそうした指摘は続くだろうが、そうした批判を押し退け続ける力もあるようだ。
しかし昨今の世の中を見るに、これからはもっと端的に、贅沢であるという指摘が増えていくのではないか。「世界には食事に困っている人がいるのだぞ」というのは大食い(あるいは食べ残し)に対する典型的な批判であるが、これが「日本には~」となると、なかなか言い返しづらい。
ただそうなると、大食いどころか、いいものを食べて、見せびらかすのは良くない、という話になってくる。グルメリポートの類にも批判が集まるだろうし、旬の料理、人気のスイーツといった話も難しくなってくる。贅沢は敵である。
お金持ちは質素な食事をアピールしながら、うまいものは隠れて食べるようになる。映えの時代が終わり、隠しの時代が始まる。ここまで書いて、これもショートショートにすれば良かったなと思った。