ディストピアはまだか
マイナンバー絡みのトラブルが色々と続いている。国民総背番号制と言われて導入に至ったころは、収入から医療情報まで全て政府に把握されてしまうと批判されていたけれど、あれから数年経って、そもそも背番号として機能しているかも怪しい状態らしい。
私が大好物のディストピア小説では、政府による監視というのは定番の設定である。けれど実際のところ、SF小説のようなビッグブラザーは現実には難しいようだ。せっかく国民総背番号制が出来たのに、肝心の背番号がちゃんと機能していない……みたいなSFってあったのだろうか。
そういうことを考えながら「誰かのナンバー」というショートショートを書いた。まだ読んでない人は読んでね。
八田真行さんが書いていたが、ジョブズの発言に「若いうちは、テレビとか見て世界には陰謀が渦巻いていると思うよね。大テレビ局は俺たちを低能にしようと企んでるんだと。でもちょっと歳を食うと、そうじゃないということに気づく。テレビ局は、人々が欲しがるものをピンポイントで与えているだけなんだ」というのがあるらしい。
世の中には巨悪があると思っていたが、実際にはもっとしょうもない打算とか、不手際とか、社内評価システムがあるだけだった……というパターンは、私が気に入ってるだけかもしれないが、現実でも良く見かける気がする。もちろん本当の巨悪もどこかにはあるのだろうが、巨悪との戦いというのは物語として素敵なので盛り上がる一方で、世の中のしょうもなさとの戦いというのは物語にならないので、誰も語ろうとしない。
マイナンバーだって、ビッグブラザーが国民のプライバシーを丸裸にしている! みたいな話だったら良くも悪くも盛り上がるだろうけど、漢字の処理がうまくできないので他の人と紐づいちゃった……みたいな話になると、こちらも、はあ……としか言いようがない。まあ世の中が駄目になっていく時というのは、なにか巨悪が存在したり、明確な問題があったりするよりは、案外こういうどうしようもない感じなのかもしれない。
そもそもプライバシーって今時まだ価値があるのかしら、という問題があって、たぶんほとんど人のプライバシーに経済的な価値はない、でもぶっこ抜かれると色々トラブルになりえる、とい非対称性がマイナンバーなどの問題も難しくしている気がする。
最近も朝日新聞に、GAFAが個人の情報を集めてボロ儲けしてる! みたいな十年前くらいのノリの時評が載っていて、こういう感覚はまだ根強いのだなと思った。むしろGAFAが儲け続けて、ChatGPTみたいな人類への新たな「脅威」が現れる限り、この手の(誤解に基いた)批判はますます強くなるのかもしれない。
そのChatGPTは、私はほとんどまともに使っていないのだけど、まともな用途の一つとして文章を丁寧に書き換えてもらうというのがあるらしく、私がむかし書いた「チャット・ジェントリフィケーション」を引き合いに出してくれる人がいて嬉しかった。自分でも書いたのを忘れていたが、2018年なのでコロナ禍前の作品である。いかに自分がオフィスで働きたくないかというのが伝わってくる。
あとここまでの流れと関係ないが、村上春樹が新作で10万円の愛蔵版を限定300部を出すと聞いたときは、2010年に書いた「本の復活」を思い出した。当時を思えば本は思ったよりまだ元気だなという感じはするが、書店はどんどん無くなってるし、紙はどんどん高くなってるし、ちょっとしたきっかけで消えてしまいそうというか、むしろ世の中の大半では本の存在感はほとんどなくて、自分がまだ本を有り難がっている少数派なのかもしれないと思わないでもない。しかし愛蔵版を出すなら、むしろ通常版より先行して出すべきだったのでは……。
その村上春樹の新作はまだ読んでないのだが、BuzzFeed時代の同僚がとても良いインタビューをしているので、こちらも読んでください。私はKindleでセールをしていた「走ることについて語るときに僕の語ること」を読みながら、梅雨~夏に向けてランニングのモチベーションをなんとか保とうとしています。