才気、再帰的、歳時記
Twitterを活発にやっていたころ、なにを書いてもウケてしまうような時期があった。前向きに考えれば、私にそれだけの才能があるということなのだろうが、後ろ向きに考えれば、私はウケるものを学んでしまい、そのフォーマットに沿うものばかり書くようになってしまったということである。フォロワーは私のウケそうな投稿に集まって拡散してくれるし、おすすめアルゴリズムはフォロワー以外にも届けてくれる。
なにを書くとウケるかは人それぞれだろうが、私の場合は政治とかメディアのことをちょっと冷笑的に批判すると確実にウケた。今でもそういう文章を書くことはできるが、よくよく考えれば私は自分の冷笑的ツイートがウケても何一ついいことがないし、世の中の批判だけでウケていてもつまらない。
というところで全くの余談なのだが、舐達麻というヒップホップのグループがいて、色々あってBad Hopという別のグループと対立しているのだが、先日Bad Hopをめちゃくちゃディスった曲をリリースした。その中の一節:
上手だな、ネットの使い方。SNSでBeef、わからない、やり方。
「ネットが上手い」というのは現代では悪口なのだと思う。
私もどうせウケるなら、冷笑ツイートではなく、もっとどうしようもないものでウケたいのだけれど、なかなかどうして、私が自分の中で最高に面白いと思うものは、世の中では全然ウケない。たとえばTwitterに、
分け入っても分け入っても関東ふれあいの道
と書いて、個人的には最高の自由律俳句だと思うのだが、全然ウケなかった。今でも登山中、この自分の作品を思い返しては笑ってしまうのだが。
少し前にはThreadsに、
茄子を四分するとき内側からだと切りやすいということに気付いたが(我ながら賢い)、ではその前にどう二分するかというトポロジー的な問題に直面した
と書いて、これも非常に気に入っているのだが、ほとんどなんのリアクションもなかった。これはまあThreadsのアクティブ会員が少ないのが悪いということにする。
話を戻すと、メディア批判は私に限らずインターネットでは鉄板でウケるネタで、なぜかというとインターネットで声の大きい人にはやたらメディア関係者が多く、メディア関係者はなぜかみんなメディアに批判的だからである。
私はメディア業界と広告業界とコンサル業界くらいしか知らないが、後者ふたつが自分たちの業界がいかに凄くて、自分たちがいかにイケているかを喧伝してばかりであることを考えると、メディア業界の自己批判はかなり特徴的である。
少し前もジャニーズでの性被害が話題になったが(いつの間にか話題にならなくなってきたが)、インターネットでは被害者の話はそっちのけで、記者会見の一社一問ルールとか、ルールを守らない記者の是非で盛り上がっていた。そういう感じである。
なぜそうなるかというと、たぶんマスメディアを辞めた人が大学の、この話もうやめましょうか。
とにかく旧来のマスメディアが相手でも、新興のネットメディアが相手でも、インターネットにおいてはメディアを擁護する人というのはほとんどいなくて、誰でも容易に叩ける存在なので、だからこそ安易に批判ばかりしてウケても仕方ないなあと思うのだが、この文章自体がメディア批判的ではと言われるとその通りなのが難しい。まあ少なくとも私は自己言及的な自分に自覚的なのである。
最近、Patrick’s Paraboxという異常な倉庫番パズルゲームで遊んでいる。再帰的・自己言及的なパズルなどが無数に出てきて、遊んでいるとだんだん怖くなる。それでもパズルゲームとしてはとてつもなく洗練されているので、つい遊んでしまう。仕事より確実に頭を使っている。仕事では再帰とかないからね。
今年もtaizoooさんのアドベントカレンダーに招待いただいた。毎年「ベスト・オブ・一年」というお題を無視してショートショートを公開しているが、今年も12月11日に暗い鬼の話を出そうと思う。過去の作品はこちら: