明るい「アメリカン・ユートピア」に救われる
月末まで使える映画のチケットがあって、ちょうど仕事も一段落ついたので有給休暇をとったのだが、こういう時に限って見たい映画がない。洋画は前提知識の必要なヒーローものばかりだし、邦画はドラマの続編ばかりである。面白そうな映画はネットで評判を見かけたと思ったら、もう公開が終わってたりする。
そういうわけで、ちょうど公開終了日の「アメリカン・ユートピア」を見てきた。
この映画の成り立ちはややこしい。まず、デヴィッド・バーンというミュージシャンがいて、2018年に「アメリカン・ユートピア」というアルバムをリリースした。そのあとライブツアーに出たら、物語性があるので舞台化してみてはと言われ、2019~2020年にブロードウェイへ進出した。評判が良かったので映像に残そうと考え、スパイク・リーに頼んで映画化した。
ニューアルバムに伴うツアーの舞台化の映画化、それが本作である。
というか、調べるまでまったく気付かなかったのだが、「アメリカン・ユートピア」は昨年すでに日本で公開されており(アメリカでは2020年公開)、今回はデヴィッド・バーンとスパイク・リーの対談を加えたスペシャル・バージョンでの再演であった。みんな映画の情報どこで入手してるのよ。
デヴィッド・バーンは、トーキング・ヘッズという70年代に結成され、80年代を中心に活躍したバンドのフロントマンである。トーキング・ヘッズは、それなりにヒット曲もあるのだが、なにより「ストップ・メイキング・センス」という1984年のライブ映画が有名である。
私も一応見たことはあるのだが、正直いまの感覚だと、なにか特別すごいという感じではない。余分なものがない、ただかっこいいライブである。監督はこのあと「羊たちの沈黙」を撮るジョナサン・デミ。
トーキング・ヘッズは90年代に解散するが、デヴィッド・バーンはその後もソロミュージシャンとして活躍したり、自分のレーベルで色々なミュージシャンを取り上げたり、本を書いたりしている。ざっくり言えば、多彩なインテリである。還暦を優に過ぎ、いまは70近いおじいちゃんでもある。
そういうわけで、おじいちゃんがアメリカのユートピアを音楽で語るライブ映画なのだが……これが、とっても良かった。ここ最近で一番感動した。
なにが良かったかというと、言語化するのは非常に難しいのだが、一つには近年のいろいろな不安、まだコロナ前ではあるが、格差社会、人種差別、政治不信、そういうものを認めた上で、前向きに生きて行こうというメッセージが明確なのが良かった。なんかそう書いてしまうと陳腐だけど、本当にそうなのだ。
はっきり言えば、2018~2020年というのはトランプ政権下で、アメリカのリベラルにとっては最悪の時期だっただろう。そうした状況でも希望を持とう、とデヴィッド・バーンは言う。具体的には、選挙に行こう、と。そう書いてしまうと陳腐なのだけど!
もちろん、もっと単純に、音楽も良かった。デヴィッド・バーンの曲は、おおむねポップではありつつ、どうしても小難しいところがあるのだが(ライブの最初は脳の機能についての曲である)、マーチングバンドとダンサーを従え、同じスーツを着て裸足で踊る今回の編成は、プリミティブに格好良かった。映画館では立って踊れないのが残念なくらいである。
テレビにゲスト出演した時は、ライブとはまた別の曲をやっている。「ハイになったとき以外はテレビなんて見ないよ~」とテレビで歌うのが流石である。デヴィッド・バーン自身、昔より歌がうまくなっているように見えるのが不思議。
ところで、ちょっとネタバレになるのだが、作品の中でデヴィッド・バーンは、トーキング・ヘッズで頭角を現したころを回顧して、世の中のことをもっと知ろうとテレビを買ったのだが……と言って笑いを誘うシーンがある。
私も笑ってしまったが、よくよく考えると、当時の最新メディア/デバイスであったテレビから情報を得て、世の中を知ろうとするのはおかしなことではない。しかし、今では「テレビで世の中のことを知ろうとする人」は笑いの対象である。インターネットでも同じかもしれない。どうしてこうなったのか……と考えてしまった。
ともあれ、私がいまさら映画館で観た一方、「アメリカン・ユートピア」はiTunesなどでレンタル・販売がすでに始まっている。生活に明るいコンテンツが足りないという方はぜひ観てください。そしてデヴィッド・バーンのように、音楽にあわせて、ぎこちなく踊ってくださいね。