趣味を供養できるか
久々に海外出張があった。もともとの性格か、慣れか、ホテル暮らしはあんまり苦にならない。荷物も少ない。ThinkPadとWiFiがあれば、もう70%くらいは自宅にいるようなものである。出張中のホテルに望むのは、バスタブを用意してくれというくらい。
ところが家に帰ってくると物で溢れている。買物好きであることは否定しない。外出先でミニマリストになるためには、たとえば出先にあわせて、10Lや20Lや30Lのバックパックなど、目的に応じた洗練されたアイテムが必要で、そうしたアイテムを溜め込んでいくとどうしても部屋はとっちらかる。外でミニマリストでいるために、家ではマキシマリストでないといけないのである。だから買ったものもなかなか手放せない。
そういえばロールプレイングゲームで貴重な消費アイテムを絶対に使おうとしないことをラストエリクサー症候群と言うが、完全に私のことだ。
前に書いたとおり引っ越しを画策しているので、家を片付けていかなければいけない。近藤麻理恵は服から捨てろと言う。実際、服はあまり思い入れがないのでまだ捨てられる。また、レゴや一部の本など、そもそも捨てるという選択肢がないものは捨てないわけで、これも簡単である。問題は、もう確実に使うことがないし、場所をとっているのに、なかなか捨てられないもの。私の場合はCDである。
大学生で夜勤のバイトをしていた頃は、夜勤明けそのまま河原町のタワーレコードでCDを買い、すぐに開封しては手持ちのCDプレーヤーで聞いていた。月に10枚は少なくとも買っていて、ということは月に2万円くらいは少なくとも使っていた。バイト暮らしの学生にはなかなかの大金である。
今でも覚えているが、Peshayという普段は聴かないドラムンベースのアーティストのアルバムが音楽雑誌で褒められていたので視聴もせずに買い、例によって早速手持ちのプレーヤーで再生させたら、めちゃくちゃラフでアグレッシブな曲が流れてきて、たいへん興奮した。あまりにラフなので、よくよく調べてみるとヘッドホンの端子が外れかかっていたで、音がおかしくなっていたのだった。
そういう思い入れのあるCDが段ボールに2箱、3箱、あるいは5箱か7箱くらいあって、10年以上前にいまの家に引っ越して来てから部屋で眠っている。これでも一部は捨てたり売ったり、なんの解決にもらないがトランクルームに預けたりして、立花隆が書庫を建てたように、私もいつか豪邸に引っ越すことで最終的な解決にならないかと思っていたが、どうも無理そうである。
それにしても、もしSpotifyやKindleがなかったら、今ごろ部屋はどうなっていただろうか。なまじ本やCDを買うくらいのお金はあるのがおそろしい。テレビでゴミ屋敷の話を見ると、自分の将来かもと思ってしまう。大好きなレゴを買うことを控えているのも、とにかく置く場所がないということに尽きる。日本の人口は減り続けているのに。
そのSpotifyのおかげか、CDの価値はこの十年で下がり続けており、売っても二束三文で、捨てたほうがマシなくらいなのが悲しい。物理的に劣化して、読み込めなくなってくるものも出てくるだろう。選別してメルカリで少しづつ捌いていけば多少の小遣いになるのかもしれないが、労力に見合わないというのが正直なところである。本を送料込み数百円で出品している人達がいるが、あれはどういう稼ぎになるのだろうか。
そういうわけで大半はSpotifyやYouTubeでいつでも聴けるし、二度とブックレットやライナーノーツに目を通すことはないと理解しつつ、CDをゴミ袋に入れたり戻したりを繰り返している。せめての供養にと、まだリッピングの済んでいないものは、すべてmp3に変換している。2024年にCDをリッピングしてるやつ、どれだけいるんだろう。
人生もすでに後半と思えば、少しずつ物を減らして、最期には手ぶらになるくらいが丁度良いのだろう。ラッパーの田我流も「天国に持って行けるのは思い出くらい」と言っている。しかし篠原ともえのセカンドアルバムのブックレットは今見ても最高にいいね……。