最近、Twitterとかネットでちょっと変なことを言ったら、スクリーンショットを取られて、拡散されて、叩かれて、炎上とか言われて、ネットメディアが記事にして、それがテレビで取り上げられたりするじゃないですか。
反対側から見ると、ネタを自分たちで考えられないテレビやネットメディアは、炎上の話題をいつも探しているし、親切な人達は変なことを言ってそうな人をいつもウォッチしていて、これぞという発言を見つけたら、ほら見たことかとスクリーンショットに取って拡散して叩いて炎上だと騒ぐじゃないですか。
ほとんど話題になっていない、対立構造さえはっきりしない批判を、さも大袈裟な炎上があったかのように仕立てあげることを、最近は非実在型炎上と言うらしい。そんなことを言い出したら、ネット発の炎上は大半が非実在型じゃないかと思う。
もちろん、節度ある人間は、炎上しそうな変なことを言うべきではないのだろうし、そもそも君子はネットでなにかを書いたりすべきはないのだろう。せめて鍵アカにしとけよ、みたいな。
私はもう賢い大人なので、そういう現実を理解していて、受け入れることもできるのだが、だからと言って、今やネットに書き込むのはすべてがリスクなのだ~みたいな、したり顔の小学生向け教科書みたいな結論に落ち着くのはどうなのかしらと思うのである。
だって、私自身はネットがもっと無茶苦茶だった時に、好き勝手なことを言ってきたし、それを楽しんできた。いまのネットはもっと成熟して、殺伐として、炎上しやすくなったけど、はいはい、私達は散々この遊び場でバカばっかりやって遊び尽くしてきたけど、その結果として荒れ放題になってしまったから、みんなはもう遊ばないようにしましょうね~というのでは、たとえそれが正しくても、なんだか申し訳ない話である。
前に書いたが、昔のネットはリアルでは言えないことを言える場所であった。今はネットで言えないことをリアルで言うようになっている。
いまの私はここでは書けないことをリアルに話せる知り合いがいるからいいけど、問題は、高校生のときの私みたいな、リアルで言いたいことを言い合うような機会のない人間は、いまどこに行けばいいのかということである。そういう人達向けの場所を提供するのがネットだったんじゃないのかと。
2ちゃんねるの、流れては消えていくはずの書き込みが、まとめサイトの流行で停留するようになったとき、嫌儲と呼ばれるムーブメントが起きた。いまのインターネットにも、誰かにまとめられるリスクを負わずに、言いたいことを言える場所があってもいいんじゃないかと思う。そこはゴミ溜めのような場所だが、そういう場所を求めている人はいるわけで。
Twitterだって、ゴミ溜めのような書き込みばかりでも、すぐに流れて視界から消えていく仕組みだったので成立していた。それが、引用リツイートとかいうどうしようもない機能だったり、Togetterみたいなどうしようもないサービスだったり、Twitterからしかネタを拾えないようなネットメディアやテレビ番組のせいで、流れないゴミ溜めになってしまった。
なんだかライ麦畑でつかまえてみたいな話になってきたような、そうでないような。まあ賢い大人が知らないだけで、現代の高校生には現代の高校生しか知らない秘密の遊び場があるのだろうから、そこはあんまり心配しなくてもいいのだろうが、問題なのは、いや、賢い大人なのでここらへんでやめとこ。