完璧なゲームの幻影、謙虚になるための登山
"Sanabi"という、ネットで絶賛されているアクションゲームを先日クリアした。なかなか面白かったのだが、先に多数の絶賛評を目にしていたので、もっと面白いのかと思ってた、というのが正直なところである。フックショットの操作は爽快だが、なかなか思い通りに行かないし、一部のレベルデザインは電流イライラ棒のような理不尽があり、死ぬと少し前まで戻されるわりに、リトライのたび少し待たされる。
数ヶ月前には"スーパーマリオブラザーズワンダー"で遊んでいた。定番の2Dマリオに風変わりな味付けが色々あって、良く出来ていたのだが、こちらはクリアすることもなく、いつのまにか途中でやめてしまった。マリオ自体がどうこうというより、PCゲームに慣れるとSwitchは遅くて起動するのも億劫なのである。
世の中にはたくさんの面白いゲームがあって、私も楽しんではいるのだけれど、何十年と色々なゲームで遊んでいると、どうしてもこちらの期待も高くなり、良く出来たゲームでも足りないところが目についてしまう。このゲームはデザインがいいけれど、操作性が悪い。こちらは操作性が良いけれど、物語がつまらない。こちらは難しすぎて、こちらは易しすぎる、などなど。
こうした症状は、完璧なゲームと出会った後だと、ますます顕著になる。"Sanabi"やマリオのような2Dアクションゲームでいえば、数年前に"Celeste"という完璧な作品があって、それ以来どれを遊んでも喪失感がある。
"Celeste"は山を登るためにひたすらジャンプとダッシュを繰り返す、ストイックな作品である。難しいが、やり甲斐があり、どのレベルにも新鮮さがあって、死んでもすぐに復活する。そしてなにより、操作性が素晴らしい。
操作性と言われても具体的になんなのか? なにをすると良くなるのか? そう疑問に思った人はぜひこの動画を見てください。日本語字幕もあります。
ゲームが完璧になると、ミスは自分のせい(あるいは思った通りに動作しないコントローラのせい)になる。私はノーマルステージを一通りクリアした今でも時々"Celeste"で遊ぶ。一つにはその心地良い操作性を味わうためで、もう一つにはミスを犯す自分と向き合って謙虚になるためである。
そう考えると"Celeste"のゲーム性と、山登りというテーマは完璧にマッチしている。山登りをすると、自分の体力と筋力のなさをいつも痛感して、謙虚になる。”Celeste”で遊んでいても、ゲーマーとしての自分の技量のなさを感じ、謙虚になる。ましてやRTAのスーパープレーなどを見た後では。
ネット社会ではどうやら謙虚に生きてもあまり良いことがないらしく、みんな偉そうなことばかり言っているが、こういう時代だからこそ、謙虚でありたい人は登山をしたり”Celeste”で遊んだりするのが良いと思います。