21世紀ポジション・トーク
「チャットチャット」というショートショートを書いた。Twitterにはまっていた頃と反対に、最近は何を書いても長くなってしまうので、さっくり短くすることを心掛けてみた。読んでくださいチャットチャット。
最近はなんだかランニングとか登山とか健康的な話ばかりして申し訳ない。ネットの端々で行われている堂々めぐりの議論についていっちょ噛みしてやろうと思っても、あんまり意欲が湧かない。男親の子育てがどうこうとか言われても、こっちは最近亡くなったコーマック・マッカーシーの本を読むのに忙しい。
何度も書いているとおり、最近の私は人がひどい目に遭うしんどい小説が好きで、たとえば崩壊した世界を親子で彷徨うコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」は非常に良かったが、いま読んでいる「ブラッド・メリディアン」では毎ページのように人が暴力を受け、殺され、死体には虫がわいて誰も見向きもしないので、しんどい気持ちはあんまり生まれてこない。むしろカラッとしている。
私も生粋のインターネット民なのだから、もっとネットでは攻撃的かつ邪悪で下世話な話をしても良いのだが、いまさらそういうことを書くメリットがあるかというと、ない。別にそういうことを書いてもお金がもらえるわけでもなし、むしろ仕事をクビになってお金がもらえなくなるかもしれない。いよいよ話したくなったら、ありがたいことに、話せる相手もいる。
高校生くらいの私は、当時では典型的な、思っていることを話せる相手があんまりいないと感じるサブカル人間で、エヴァンゲリオンを見て育ったようなあの頃の思春期界隈はみんなそう思っていたのかもしれないが、そういうわけでそのあとインターネットや大学でなんでもあけすけに話す人達と遭遇してとても感動したものである。
でも大人になってみると、やっぱりみんなあんまり思っていることを話さない。というか、大人はポジショントークばっかりである。
私が所属した業界でいえば、メディア業界の人達はそれでも思っていることを隠しきれない人達が多くて、だからメディア業界にいるわけなのだろうし、それは好ましいのだけれども、広告業界やコンサル業界ではいつ誰が誰と顧客関係になるかわからないから、ポジショントーク以外なにも生まれない。特にGoogleみたいに社員みんなナイスな会社では、ナイスでない側面を引き出すのに骨が折れる。
ネットもだんだんそういう大人のポジショントークばかりになってきて、東洋経済が「○○の衝撃」みたいな記事を書いてるなと思ったら、著者は最近、東洋経済から単著を出した人で~みたいなことばかりである。反ワクチンも、ミソジニーも、陰謀論も、本気の人もいるのだろうが、そういう商売をしたいんだな~という人達の存在がまず見え隠れしてしまう。市井の商品を紹介していたインフルエンサーがいつのまにか自分の関わってる製品ばかり紹介するようになってしまうのと同じである。
みんなそういうポジショントークばかりだから、インターネットはどんどん殺伐としてきているが、昔のように天然でおかしなことを言う人はむしろ減っているというか、目立たなくなっている。
余談ながら、昔の本では、だいたい人里離れたところに籠っている人からおかしくなるもので、有名な事例ではそのまま虎になってしまうわけだが、現代ではむしろ人と積極的に関わってインターネットの話を真に受けている人からおかしくなっているように見える。政治家とか経営者とかアスリートとか、社会的に地位の高そうな人からおかしくなっていくのは、傍目から見ているとなかなか不思議である。
私がフィクションばかり読みたがるのも、それからフィクションを書くのも、それが現実のポジショントークから少し距離を置いた存在だからだと思う。もちろん、マイナンバーを茶化したフィクションによって、政治への信頼を損ねてやろう、みたいな考えがあってもおかしくないのだろうが、回りくどすぎる。
そんなことをぐるぐる考えていたのだけど、広末涼子の不倫が話題になってからは、しばらくみんな広末の話をしていたのが面白かった。いつもいがみあっているネット世論も広末の前では無力だという。李徴だって週刊文春を読んだら「えっ、広末が?」と慌てて人間に戻ったかもしれないね。