誰がニュースを咀嚼するか
私はニュース中毒と言えるほど、毎日インターネットでたくさんのニュースを読んでいるけれど、その上で映像でもニュースを見たくなることもあり、時々YouTubeのニュース番組をiPadで流している。いつから始まったのか、YouTubeには日テレ、ANN、TBSなどテレビ各局のニュースチャンネルがあって、ライブ配信という体で主要ニュースの録画を繰り返し放送している。
もっとも、主要なニュースというと殺人、火事、政局、詐欺みたいな話ばかりで、まったく明るい気持ちにはなれない。昔はCSの日テレニュース24をBGMとして延々とテレビで流しながら深夜まで麻雀をやったりしていたものだが、今の世の中は暗いニュースが増えたのか(あんまりそうは思わないが)、私が年をとって弱ったのか(これはそう)、昔ほどずっと暗いニュースばかり見ていたい気持ちになれないのである。そういうわけでニュースを見るつもりだったのに、ついついQuizKnockとか有隣堂しか知らない世界とかを見てしまう。
考えてみると、世の中はニュースで溢れているけれど、その多くはあくまでソーシャルメディアなどを経由したもので、ニュース自体をまっすぐに摂取する機会は少なくなっているのかもしれない。新聞を読んだり(あるいは新聞のアプリを見たり)、テレビのニュース番組を見たり(あるいはYouTubeのニュース番組を見たり)するかわりに、ソーシャルメディアで誰かが言及しているニュースを読んだり見たりする。誰かの緩衝材があって、ようやくニュースという現実を受け止められる感じである。
いや、そんな話は今更で、ソーシャルメディアに限らないだろうか。私自身、一番熱心にニュースを追いかけていたのは久米宏のニュースステーションを見ていた頃で、あるいは筑紫哲也のニュース23を見ていた頃だった。ニュースというよりは久米宏を見るためにニュース番組を見ていたわけで、これも現実に対する緩衝材の一種である。
私はもうあんまり地上波のテレビ番組を見ないので、最近のニュースショーがどんな感じかは分からないけれど、いわゆるワイドショーや情報バラエティの中でニュースがその一部を担い、コメンテイターによって咀嚼されていくのも同じ話だろう。
そうやって振り返ってみると、ニュースが人伝に届いた時代から、マスメディアが誕生して久米宏のようなテレビ時代のアンカーマンが活躍し、現代のソーシャルディアでインフルエンサーが台頭するまで、ニュースを咀嚼してきた人達の歴史があって、もしかしたら新聞やニュース番組の歴史そのものよりも、ニュースの本流だったと言えるかもしれない。
そういえば最近、TBSの山本アナウンサーが排外主義の高まりを非難するコメントをして一部から批判されていた。マスメディアは「事実」だけを伝えておけば良い、余計なコメントはすべきでない……という批判は公平なように聞こえるかもしれないが、ニュース番組が何を取り上げること自体が選択=批評である以上、コメントの有無で騒ぐのもおかしな話である。
一方で、批判する人がこれほど多いなら、ニュースから批評性が失われていくのもまた自然だろう。都合の悪い報道を封殺するのは与党の特権だと思っていたが、ソーシャルメディアを使えば誰も出来るようになったようだ。
かつて久米宏がどれだけ暴れていたかを覚えば、彼のようなキャスターが今ニュース番組をやっていたらどれだけ毎日騒ぎになるだろうかという気もするし、今の時代に久米宏のようなアンカーマンがいないからマスメディアのニュース番組に存在感がないのだと批判することもできるし、どうあがいてもテレビのニュース番組に存在感がないから久米宏のようなスターキャスターも生まれないのだ、という見方もできる。
そもそも今の若者は久米宏を知らないだろうから、あれだけ好き勝手に物事を言うニュースキャスターがかつては「許されていた」ことさえピンと来ないかもしれない。
ところで、アメリカではスティーヴン・コルベアの「ザ・レイト・ショー」の打ち切りが決まった。
コルベアは以前からトランプ大統領を徹底的にネタにていたが、「ザ・レイト・ショー」を放送するCBS/パラマウントは映画会社スカイダンスとの合併を控えており、政府の承認を得るためにトランプと微妙な関係にある。CBSは大統領選前に行ったカマラ・ハリスのインタビューが、トランプに偏向報道だと噛み付かれ、1600万ドルを支払うことで和解したばかりである。日本もこういう未来が来ているのかもしれない。
そういえば次の総理大臣の有力候補である高市早苗は、総務大臣だったころ、政治的公平でない放送局の電波停止の可能性に触れたのだった。まあ、こういうことを書くと文字通りに受け止めて「政治的に公平でない放送局の電波を停止してなにが悪い」と言われるのが現代だ。
ともあれ、ニュースを咀嚼する役割はマスメディアからソーシャルメディアへ受け渡されたが、未来ではその役割をAIが担うようになるのだろう。
だからGrokのような偏向AIがナチズムをすでに正当化しはじめている現状にうんざりするわけだが、これも騒がれているうちはマシで、そのうち話題にもならなくなる。YouTubeがどれだけヘイトスピーチをおすすめしても、ネット広告がどれだけ性的イメージを利用しても、InstagramやXがどれだけ無断転載動画で溢れても、みんなもう諦めているように。つくづくアルゴリズムは粘り強く、人間は諦めやすい。政府が公平であることを審査し、AIが咀嚼してくれるニュースの時代は、わりとすぐそこなのかもしれない。


