先日の衆議院選挙で初当選した元タレントの森下千里議員が、当選後に「選挙はダイエット効果もあるようです」などとInstagramに投稿して、批判を浴びている。
……と言う紋切り方の文章から入ってみたが、なぜ批判されているのだろうか。別におかしなことは言ってない気がする。選挙活動は過酷な肉体労働だろうから、ダイエット効果は確実にあるに違いない。
いや、まあ、批判を浴びる理由は分かる。政治家というのはその立場上、常にファンとアンチがいるわけで、読売ジャイアンツが常に他の球団のファンから批判されるように、議員だって常に批判される。だからといって、こんなしょうもない話をわざわざメディアが取り上げるのもどうかと思うのだが、わざわざ取り上げたメディアというのは日刊ゲンダイとか週刊女性とかFlashとかなわけで、いまさらメディア論をぶつ相手でもない。
そういうわけで、党派性により批判する人がいることは分かるし、ページビューになるから批判するメディアがいることも分かる。私が嫌なのは、みんなそのような立場を認めず、さも発言自体に大きな問題があったような態度をとっていることだ。あれを言ってはいけない、これを言ってはいけないと、言葉に責任を負わせているのである。本当は発言者自体が気に食わないのに。
そういうことを言うと、賢い人は、そもそも議員は公の立場なのだから、批判を受けるような言葉を使ったのがいけないのだとか、したり顔で言うわけだが、それは突き詰めていけば、批判される立場にいる人はなにを言ってもいけないということになる。
言葉とはもっと自由で平等なものじゃないだろうか。アンチに隙を与えないような言葉遣いをしましょうと言えば殊勝な話に聞こえるかもしれないが、アンチの考える正しい言葉遣いの線引きがどこにあるのか分からない以上、ナンセンスな話でもある。
アメリカ大統領選挙でも顕著だったが、トランプは好き勝手に暴言・虚言ができる一方、ハリスはいつまでもまっとうな言葉遣いが求められ、少しでもおかしなことを言おうものなら、他ならぬトランプ陣営に批判されるのである。
話を戻すと「ダイエット効果~」の投稿は今も残っているものの、批判を集めた一文は消されたようだ。私は件の議員に何の思い入れもないけれど同情する。
最近あった似たような別の例が、タイミーの広報部長みたいな人が「IPO前から仕込んできました『ガイアの夜明け』が今晩放送です!」とXに書き込んだ件である。「仕込み」という業界用語が、IPO前後という微妙なタイミングで、メディアの中立性を揺がすような使われ方をしたことから、散々に炎上して、代表取締役が謝罪することになった。
そういうわけで、もうとっくに決着がついているわけだけど、いまさらながら敢えて、「仕込み」って言葉くらいでそこまで炎上する必要があったか? とは言っておきたいのである。みんな言葉を批判するけれど、これだけ炎上したのって、要するにタイミーが嫌われてるからでしょう?
嫌われてるからこそ言葉遣いには注意すべきだったとか、件の投稿者はそういう面も含めたブランディングを統括する立場だろとか、そういう批判はもっともでしょうよ。でも、表層的に、言葉遣いが良くなかったですね、言葉遣いが悪かったので謝罪されました、みたいな話にまとめるのは、なんだかゾワゾワするのである。みんな問題はもっと根深いところにあると分かってるのに、それを指摘しようとはしない感じ。
炎上が起きるたび、同じことを他の人がやっても炎上しただろうかと考えるのだが、最近はバイトテロみたいな無名の炎上は影が薄くなってきた。大衆にしてみれば有名人や有名企業を釣るしあげてこその炎上で、だから今日の炎上というのは属人的な言葉狩りに近付いているように思う。