勝手に翻訳されたいか
個人でインターネットに色々と書いていて思うのは、読者が多いのが良いとは限らない。これに気付いたのはTwitterを多用していた頃で、なにかの投稿がウケて拡散されればされるほど、おかしな返信が届くようになる。
読者が増えればおかしな読者も増える、それはまあそうだ。問題は、ただ線形に増えるのか、それ以上のペースで増えるのかである。個人的には、後者のように感じてしまうが、これは誰か理論的に分析して欲しい。
広告業界では「悪い宣伝というものはない」(There is no such thing as bad publicity)という言い回しがある。どんな形でも話題になるのがいいということだが、これは売り物のある広告業界ならではの考え方だろう。いまのインフルエンサーやYouTuberも、自分が売り物と考えれば同じで、なんでもいいから顔と名前が売れたほうがいいと考える人は少なくない。
でも少なくとも当時の私は、Twitterでどれだけ拡散されても一円にもならないし、面倒な人達に絡まれるだけであった。いまもSubstackの読者が増えれば嬉しいけど、お金にはならない。noteのメンバーシップが増えたらお金は増えるが、それで億万長者になるわけでもない。
そもそもXでなくBluesky、Substack、それからnoteのメンバーシップと、私自身どんどん狭い方向へ向かっているのは、そちらのほうが心地良いというか、見る人ばかり増えても仕方がないと感じているからだろう。インターネットに初めて触れたときは世界中へ簡単に情報発信できることに感動したのだが、残念な結末である。
そう考えると、Xが最近やっているような投稿の自動翻訳は、かなり不安である。Substackもnotes(Xみたいな機能)が自動翻訳されるようになるみたいだし、そうするとニュースレターが翻訳の対象になるのも時間の問題だろう。noteも似たような自動翻訳をはじめると聞いて、私はさっそく設定をオフにしてしまった。
言う間でもなく、AI翻訳の精度はものすごく向上している。それでも、自分の書いたものを、自動翻訳に任せられるとは思わない。
翻訳の精度を疑っているのではない。まず、完璧な精度で翻訳されたとしても、文化的な背景の違う異国の読者相手に、書いた中身の意図が伝わるとは思わない。しかし、それ以前に、翻訳を通じて海外まで読者が広がることが良いと思わないし、広げたいとも思わない。
繰り返すが、自分がインターネットを始めた時に抱いたスピリッツとはずいぶん遠いところへ来てしまった。大人になったのか、チキンになったのか。「読者が増えてもお金にならない」と先に書いたが、逆に言えば「お金にもならないことをなぜ書いたりするの?」という話になるのだろう。それだけインターネットが資本主義的な環境になったというか。
いずれにせよ、翻訳をするかどうかは、もはや私の決断ではなく、プラットフォームや、読者の決断になっている。けっきょくのところ、私が日本語で何かを書いたら、誰かがそれを何語かに翻訳して読むことができるのである。本人の知らないところで翻訳され、炎上するのも、これからは日常になっていくのだろう。「無断翻訳禁止」のバナーでも作りますか?

